ドラマ『はいすくーる落書2』や『白鳥麗子でございます! 』など数々の話題作に出演し、
1990年代には一世を風靡した俳優・萩原聖人さん。
また俳優としてだけではなく、プロ雀士としての顔も合わせ持つことで有名ですよね。
現在は50代となり渋いイケオジとなった萩原聖人さんですが、
若い頃は一体どんな風だったのでしょうか?
本日はそんな萩原聖人さんの若い頃について調べてみました。
この記事を読めば、
- 萩原聖人さんのデビューのきっかけは?
- 萩原聖人さんのデビュー当時の写真はある?
- 萩原聖人さんは若い頃尖っていたって本当?
- 萩原聖人さんの20代の出演作品は?
といったことが分かるようになります!
それでは、どうぞ!
目次
萩原聖人のプロフィール
まずは萩原聖人さんのプロフィールからみていきましょう!
プロフィール
萩原聖人さんのもう一つの職業プロ雀士とは、サイバーエージェント社長の藤田さんが
発足した麻雀のプロリーグで、萩原聖人さんはここでMリーガーとして活躍しています。
なんでもこのMリーグの発足意図は、
『麻雀を頭脳スポーツとしてオリンピックの種目に入ることを目指す』
ということだそうで、その想いに共感した萩原聖人さんも麻雀に対してとても
熱い情熱を秘めているそうですよ!
俳優業との両立はなかなか頭の切り替えが大変なようですが、
プロ雀士としての萩原聖人さんの活躍にも目が離せませんね♡
萩原聖人さんのデビューのきっかけは?
萩原聖人さんが俳優としてデビューした作品は『あぶない刑事』の置き引き少年の役で、
当時、萩原聖人さんは15歳でした。
そのデビューのきっかけは、萩原聖人さんの母親が経営していた居酒屋で手伝いをしていた時に
人気ドラマ『ビー・バップ・ハイスクール』を作っていた制作会社のお偉方が
常連さんだったことから、母親が『この子がビー・バップに出たいってバカなこと言ってる』と
いったノリで紹介してくれたことだったそうです。
その時の制作会社の方は萩原聖人さんの顔をじっくり見て
『ビー・バップには向かない。顔が優し過ぎる』と言って、
その場でたまたまキャスティング会議していた『あぶない刑事』の少年の役を
与えてくれたんだそうです!
萩原聖人さんは俳優に興味があったため、その場で快諾し、台本を貰ったんだとか。
萩原聖人さんは当時のことを
『僕はこの仕事もそうですし、人生って運と縁だなと思う。』
と話されていました。
確かにこれは運命の出会いですよね!
ここから名優・萩原聖人の俳優人生がスタートすることになったようです。
萩原聖人さんのデビュー当時の写真はある?
萩原聖人さんのデビュー作は『あぶない刑事』の32話に登場する置き引き少年の役ですが、
その頃のまだ初々しい萩原聖人さんの画像がありました!
『あぶない刑事』当時15歳の萩原聖人さん⇓
デビュー当時の萩原聖人さんいかがですか?
塩顔イケメンでとっても可愛らしいですよね♡
この時はもちろんまだ無名でしたが、ここから徐々に役者の仕事が貰えるようになると、
デビューから3年後のドラマ『はいすくーる落書2』で一気に注目が集まるように
なったんだそうです!
『はいすくーる落書2』当時19歳の萩原聖人さん⇓
この出演をきっかけに大ブレイクした萩原聖人さんは、1990年代ドラマ映画に引っ張りだこの
超人気俳優となっていったのでした♡
萩原聖人さんは若い頃尖っていたって本当?
俳優として大ブレイクした萩原聖人さんですが、人気絶頂だった頃はかなり尖っていたようで、
1994年ドラマ『若者のすべて』で共演した木村拓哉さんが、
嫌いだった俳優として萩原聖人さんの名前を出したこともありました!
それはテレビ番組『SMAP✕SMAP』でのこと、
木村拓哉さんは萩原聖人さんと初めて会った日のことを話していて
『俺らは役者として芝居をやるんで、アイドルの芝居はわかんないんすけど』
と挑発的な挨拶をされたことにムカついたことを告白。
萩原聖人さんトンガリまくっていますねww
その後も『現場で監督に意見を言って、収録を止めるのがイラついた』
『横で麻雀雑誌読んでて、バカじゃないの』など萩原聖人さんを嫌っていた理由を暴露!
ドラマ『若者のすべて』の撮影現場は2人のバチバチした空気の中、
いつもピリピリモードだったことが明かされました!
このことについて萩原聖人さんは全面的に認めていて、
2021年にテレビ番組『本音ではしご酒』に出演した際に、当時の自分について
『とにかく小さい事務所だったから、大きな事務所のタレントに芝居でだけは
負けたくなかった』と話していました。
そんなイケイケだった萩原聖人さんと木村拓哉さんですが、
その後2人は2度共演し現在も『拓哉』と呼んでいることから、
今でもずっと仲が悪いということでは無さそうです!
ドラマ『若者のすべて』の監督は、ギラギラした萩原聖人さんと木村拓哉さんの
当時の様子を、
『20代前半でお芝居に真っすぐな若者二人をとても頼もしく思っていた』
そうですよ。
現在はすっかり丸くなって、とても人のよさそうな萩原聖人さんですが、
若い頃はギラギラして、必死にお芝居と向き合っていた時期があったようですね♡
萩原聖人さんの20代の出演作品は?
現在では、味のある渋い俳優となった萩原聖人さんですが、
20代の若い頃はどんな感じだったのでしょうか?
ここでは萩原聖人さんの20代の頃の代表作についてまとめてみました!
1991年ドラマ『学校へ行こう!』(萩原聖人20歳)
浅野ゆう子さん主演の月9・学園ドラマ。
まだ人気が出る前の、元SMAPの中居正広さんや稲垣吾郎さんも出演していました。
この1つ前の月9は『東京ラブストーリー』、1つあとが『101回目のプロポ―ズ』という
まさに月9の黄金時代で、『学校へ行こう!』も平均視聴率17.3%の大ヒットドラマと
なりました。
1993年ドラマ『白鳥麗子でございます!』(萩原聖人22歳)
鈴木由美子さん原作の大ヒットコミックを実写化したドラマ。
プライドが高くて思い込みの激しいお嬢様・白鳥麗子役を松雪泰子さん。
その恋人の秋本哲也役を萩原聖人さんが演じました。
最終回は20.8%の高視聴率を記録した人気ドラマでした。
松雪泰子の若い頃に関する記事も書いてます。是非ご覧ください!
1994年ドラマ『夏子の酒』(萩原聖人23歳)
萩原聖人さんと和久井映見さんが結婚するきっかけになった作品。
日本の米作り・農業問題をテーマに日本酒業界の抱える構造的問題を捉えた
社会派ドラマでした。
2人はこの作品の1年後に電撃婚を発表し、当時大人気俳優同士の2人の結婚は
世間を賑わすビッグニュースとなりました!
(※結婚から8年後の2003年に残念ながら2人は離婚しています。)
1994年ドラマ『若者のすべて』(萩原聖人23歳)
萩原聖人さんと木村拓哉さんのW主演ドラマ『若者のすべて』。
下町で育った幼なじみたちと、ともに夢に向かって苦難する青春群像劇。
当時はバチバチの2人だったようですが、作品は若い世代に大ウケし
ミスチルの『Tomorrow never knows』と共に大ヒット作品となりました。
いや~この頃の萩原聖人さん、めちゃくちゃカッコイイですね~♡
1997年ドラマ『それが答えだ!』(萩原聖人26歳)
海外で❝神が宿った❞と評されたほどの世界的なマエストロが、
ワケあって田舎町の中学生オーケストラに音楽を教えることに。
初めは嫌々だったはずが、生徒やその町の人々に触れ次第に変わっていくというストーリー。
萩原聖人さんは中学の体育教師の役で出演しています。
その他にも、10代の頃の深田恭子さんや藤原竜也さんが出演していてとても
見応えのあるドラマでした。
ウルフルズが歌う主題歌『ワンダフルワールド』が最高!
動画配信サービスU-NEXTでは他にも萩原聖人さんの作品が多数配信されています。
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ケツメイシ『さくら』PV出演は何歳の時?
萩原聖人さんは30代になると雀士としても活躍していて、
この頃から俳優としては主演ではなく、脇役としてたくさんの作品に出演しています。
そんな萩原聖人さんの30代の出演作品で話題となったのが
ケツメイシ『さくら』のプロモーションビデオです。
【当時34歳】の萩原聖人さんと【当時19歳】の鈴木えみさん⇓
ケツメイシが歌う切ない春のバラードはとても素敵な楽曲ですが、
当時テレビ出演に拘りがなかったケツメイシの『さくら』が初週21万枚の大ヒットとなったのは
このPVのストーリーと2人の俳優が最高にハマっていたからということは間違いないでしょう!
萩原聖人さんの哀愁漂う演技や、可愛い過ぎる鈴木えみさんの透明感に
誰もが心惹かれるPVとなったのでした♡
萩原聖人さんの若い頃に関するまとめ
いかがでしたか?
萩原聖人さんの若い頃はめちゃくちゃ尖っていて、
たくさんの話題作に引っ張りだこだったことが分かりました。
また現在はとても渋いイケオジとして、とても魅力的な萩原聖人さんですが、
若い頃から超イケメンだったということも分かりましたね♡
これからもそんな萩原聖人さんには、色んな作品に出演し楽しませて頂きたいですね!
今後も萩原聖人さんの出演作品には注目していきたいと思います!
西島秀俊の若い頃に関する記事も書いてます。是非ご覧ください!
名前 : 萩原 聖人(はぎわら まさと)
生年月日: 1971年8月21日
年齢 : 52歳(2023年9月現在)
出身地 : 神奈川県
身長 : 175㎝
血液型 : B型
職業 : 俳優・ナレーター・プロ雀士